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経済の研究No.84
安田信託銀行の苦悩

 安田信託銀行(以下、安田信託)の株価が12月15日に再び100円を割り込みました。それもストップ安直前の60円まで売り込まれました。その直前に日債銀の公的管理移行が決定されたばかりで、日債銀よりも株価が低い安田信託にも信用不安が拡がったということです。しかし本当は仕手系機関投資家が仕掛けた謀略のようです。この日、96円まで株価は切り返しましたが、1週間経っても回復のきざしはなく、22日には83円の安値を付けました。すこし検証してみたいと思います。

■ 引き金は山一證券
 安田信託が変調を来したのは、1997年11月のことです。9月時点では450円だった株価が急落して49円の額面割れまで下がりました。最大の要因は山一證券の自主廃業決定です。安田信託は芙蓉グループの一員である山一證券とその系列会社に多額の出資と融資をしていました。富士銀行は山一證券に最後通牒を突きつけた立場なので山一證券の実態は把握してましたが、安田信託には伝えられていなかった様子です。このため多額の損失を被っており、著しい信用不安を起こして株価急落に繋がったようです。
 すでに1年を経ているため事実関係は分かりませんが、この株価急落は仕掛けられたと考えています。貸株規制がなかった当時、拓銀や山一で味を占めた外国機関投資家が借り集めた株式を売り浴びせ、さらに一般投資家の提灯売りを誘って額面割れまで追い込んだと見られます。安田信託が債務超過に陥っているという怪しい噂が流れていたため、謀略であるのは間違いないと思います。その後、富士銀ほか4社が1,000億円の緊急増資を行い、不良債権の処理額を積み上げると発表して、株価は上昇に転じました。

■ 取り付いた怪しい仕手筋
 しかし、1997年12月に再び噂を伴って揺さぶりがありました。回復に転じたとはいえ、安田信託の12月時点の株価は200円まで回復していませんでした。再び貸株を借り集めて揺さぶるには手ごろな価格だったと言えます。安田信託の失敗は11月の危機の時点で、不良債権の中身を正直に開示しなかったことです。1,000億円の増資分を不良債権処理に充当することで処理に目処を付ける、としかコメントをせず、具体的な金額を開示しなかったことが黒い噂を呼び寄せました。また12月の時点でダイエーほかの破綻が噂された(この点は、第29回長銀事件を考える」を参照して下さい)ことも株価低迷中の安田信託には向かい風になりました。やむなく安田系金融機関4社による金融持株会社構想を打ち出し、安田信託をグループ全体で支える姿勢を見せることで乗り切りました。結局は、噂された企業のいずれもが無事に年越ししました。
 幸いにも増資株式の発行価額は233円に決まり、安心感が拡がったことから1998年2月には290円まで株価が回復しました。3月末までは株価PKOが好奏しましたが、再び6月に仕掛けられました。株価は長銀危機の影響でジリ安していましたが、総会集中日の6月26日に前日終値119円だった株価が前引けで87円まで売り込まれ再び危機を迎えました。このタイミングは金融監督庁新設のため大蔵省銀行局と証券局が活動を停止していた時期であり、長銀の信用不安もあったため、安田信託株を積極的に買う材料が見当たらないことを見越して仕掛けたようでした。結局は後場に住友信託による長銀の救済合併が発表されたため相場全体が持ち直し、安田信託は121円の特別買い気配で大引けしました。怪しい仕手筋が取り付いたため、まともな投資家に見放された銘柄になったことも、遊ばれた原因です。

■ 戻らない業績
 銀行にとって信用が一番です。預金が全額保護されるという前提があっても、代替銀行があるために資金は引き揚げられてしまいます。わずかな運用益の差はあっても、破綻リスクを考えれば当然かも知れません。結果として多額の信託資産を失ってしまいました(補足1を参照)。信託資産が減少することは、経常収益が縮小して不良債権の処理計画が大幅に狂うことを意味し、また固定費に占める人件費が増大して、経営が極めて不安定になります。96年度には9,803億円だった経常収益は、97年度には5,318億円、98年度には3,500億円(見込み)と成っています。
 また相次ぐ芙蓉グループ各社の破綻により持合株式に多額の含み損を生じていることが経営不安を招いています。とくに資産の劣化が激しいのは信託勘定ではなく、銀行勘定の方です。株式の含み損が苦しい銀行勘定に一層の圧迫を加えています。業績回復の鍵は、持ちすぎた株式の処分と、信用回復による信託資産の増強しか方法がありません。公的資金の再注入は1,500億円程度申請するようですが、これは不良債権処理の原資として毀損する資本に過ぎず、業績を回復させる鍵とは成り得ません。

■ 打ち出されたホールセール分離
 本来であれば、芙蓉グループの総力を挙げて安田信託の自己資本を増強することと、信託資産の積み上げを行うべきです。しかしグループの結束力は弱まっており、またグループ企業間の支援には、商法上の縛りがあって無制限にはできません。肝心の富士銀行の信用力がダウンしており、今では富士銀行がバックについても信用補完に成っていません。やむを得ず、打ち出したのが安田信託のホールセール部門(年金と証券代行を中心とする法人部門)の分離と売却でした。安田信託銀行の成長部門はホールセールにありますが、背に腹はかえられず売却が決定されました。ただし決定したのは安田信託自身ではなく、富士銀行でした。
 売却先には外資も考慮されたようです。外資であれば最低でも2,000億円で売却できただろうと言われましたが、日本長期信用銀行とUBSの関係などもあり、芙蓉グループをガタガタにされる可能性がありましたので、第一勧業銀行と折半出資の信託子会社を作り、そこが1,400億円で買い取る形にしました。こうすれば当面はグループ内に留めることが可能であり、リテール部門(個人資産運用のほか、個人ローン,不動産斡旋,遺言信託など。5月にプライベートバンキング部が新設されています)だけになる安田信託が転けてしまっても虎の子は生かすことができます。以前からカード事業などで縁が深く、金融グループを率いるという点で共通点がある第一勧業銀行は、絶好のパートナーになりました。旧財閥系でないところも芙蓉グループには安心できるところです。
 新設される合弁子会社は、とりあえず不良資産から切り離されたため、かなり信頼を回復するものと期待されます。もともと有力な信託部門を持たない第一勧業銀行を選択したこともあり、勧銀グループの信託業務を取り込むことができれば、信託資産を積み増して経常収益が増大し、大化けする可能性があります。しかし第一勧業銀行と富士銀行の合併はないだろうとの観測が拡がっています。そうであれば、新設子会社は緊急避難的な性格になり、必ずしも業容拡大には繋がらない可能性があります。合併が難しいとされる理由は、富士銀行が旧財閥銀行であること、かつては首位だった富士銀行と、下位行同士の合併で生まれた第一勧業銀行とでは体質の違いが大きいこと、グループ企業に補完機能がなく重複企業の統廃合もおぼつかないこと、などが挙げられています。

■ 安田信託銀行の行方
 ホールセール部門の分類と売却は1999年9月に予定されています。すでに海外事業から撤退し、人員の3割削減を目標とする大胆なリストラを行っています。しかし稼ぎ頭を手放したあとの安田信託が単体で生き残れるのかどうか微妙です。まず事業縮小に伴い自己資本の買い入れ消却をしなくては成りません。無配を続けるという選択もありますが、大株主の富士銀行(16.8%)、安田生命保険(9.8%)、安田火災海上保険(5.8%)の立場を考えると甘えるわけにはいきません。公的資金の優先株の金利負担ものし掛かってきます。
 現在の安田信託の株主資本について、「週刊東洋経済」12月26日号は、1,800億円の債務超過と試算しています。公表される株主資本は2,612億円(9月中間期)ですが、予想経常損失と有価証券含み損とデリバティブ損失を引くとこうなるそうです。ここで1999年3月に前倒し導入される税効果会計を導入すると2,000円程度資本が強化(見掛け上の話で実体はありません)され、ホールセール部門の売却金1,400億円と、申請中の公的資金1,500億円が加わって、やっと3,000億円程度の実質株主資本になる見込みです。株式市況が好転するか、富士銀行の株価だけでも急回復してくれれば、有価証券含み損が圧縮されてもう少し積み上げられると見られます。
 しかし、おそらく単独での生き残りは困難でしょう。他の信託銀行と対等に競うことは不可能となるため、リテール特化を打ち出しても個人資金が集められるとは考えられません。ある程度不良債権の処理が進んだところで富士銀行と合併することが望ましいと思われます。富士銀行はかつて日本首位でしたが、他の都銀が合併を繰り返す中で純血主義を守り通してランクを下げてきました。兄弟行を吸収して信託併営銀行に成ることが良い選択とも思われます。そうなればグループの信託業務を全て集めることも可能になり、相互の持合株式を消却して消却利益を得ることや配当負担の軽減を図ることが可能となります。また両行が重複して保有している取引先の株式を売却することも可能に成ります。一番のぞましい選択と思われますが、行風の大きな違いと一方的な救済合併となることが、安田信託には越えがたいハードルになるかも知れません。

 目に見えた改善効果を示して信用回復を勝ち取るまで、安田信託銀行の苦悩は当分続きそうです。

98.12.23

補足1
 安田信託銀行の総資金量は、1998年9月で20兆2,633億円ですが、このうち17兆757億円が信託勘定(金銭信託、年金信託、財産形成給付信託、貸付信託)です。対する銀行勘定は3兆1,875億円(大部分は預金)です。1997年9月と比較して信託勘定は1兆8,384億円の減少、銀行勘定は4,251億円の減少となりました。信用不安によるダメージは極めて大きいものです。1996年9月と比較すると信託勘定は2兆5,059億円の減少に成ります。

98.12.23

補足2
 安田信託銀行は、この1年で4回も信用不安を流されて株価を揺さぶられたことから、12月16日に証券取引等監視委員会に調査を要請し、改めて市場に流布された噂を否定しました。富士銀行はデリバティブの失敗で巨額の穴を開けたなどの風説を流布されて株価が急落したこともあり、安田系金融機関の情報開示遅れを指摘されたものと捉えることもできます。最近の富士銀行と安田信託銀行は第三者機関に査定をさせるなど信用回復に躍起ですが、これまで積極的に情報開示を行わなかったことのツケを払わされているようです。

98.12.23

補足3
 東京新聞のすっぱ抜き情報によりますと、準大手証券(どこかは不明)の社員が顧客に安田信託の倒産話を撒いて投げ売りさせたのだそうです(伝聞の伝聞で申し訳ありません)。外務員なのか正社員なのか不明ですが、厳重注意程度の処分だろうと証券屋は言っていました。

98.12.31

補足4
 富士銀行が安田信託銀行の子会社化を1月28日に正式発表しました。これにより最低でも3,000億円の自己資本が注入されることになり、信用面での危機は回避されるようです。ムーディーズも安田信託銀行の長期債務格付けを引き上げる方向で検討に入ったといい、29日の株価は23%もの急伸を遂げました。ただし独立金融機関でなくなるため、今後は富士銀行の意向でリストラが進められることになります。行員のモラール低下が心配でありますが。

99.01.31
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