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政治の研究No.122
オリンピックの政治的意義

 二〇世紀最後のオリンピックは、44年ぶりの南半球開催地となった、シドニーで行われました。あらゆるメディアが派手な活動を繰り広げ、全国民的に盛り上がったオリンピックは、定期開催が始まった100年前と比べると、画期的な変動を経てきたそうです。とくに政治的役割が大きな側面を形成するようになったとのことです。

 「参加することに意義がある」と言われた国際的なスポーツの祭典は、元々政治とは無縁なアマチュア大会でした。あらゆる種目で研鑽を積んだ選手達が一同に会し技を競う、大会出場を目標に鍛錬に励みレベルを高めていく、その努力の成果としてメダルが与えられる、そんな大会でした。
 しかし二〇世紀は世界戦争の世紀でした。ときには戦争で中断したり、政治的理由で参加を見送ったり、国家がメダルの個数を競い合ったり、国丸抱えで選手を育成したり・・とありました。また、後述する商業性の高まりの影響もあって、オリンピック自身の経済効果が注目されるように成りました。セミプロ参加、条件付きでのプロ参加・・なし崩し的に参加要件を緩和してきたことも、政治的理由に因るようです。
 そんなオリンピックも、1976年のモントリオール大会で危機的事態を招いたことがあります。大会の開催地では、大会宣伝の広告費・大会会場の建設費・選手や関係者の受け入れ費に多額の費用が発生します。当初は開催地を国際的にアピールするという宣伝効果に期待されたため、採算は二の次であったようです。しかし、モ大会で巨額の赤字が出たために、次回開催候補地が見つからないという事態を生じました。

 国際オリンピック委員会(IOC)のサマランチ会長が就任したのは、その最中1980年だったそうです。オリンピックは儲からない、儲からないから遣りたくない、いっそ大会を縮小しては・・という声を押し戻し、現在の隆盛を築いたのは、サ会長の辣腕あってのことです。いろいろ独裁だの、不正だの、と批判がありながらも、崖っぷちのオリンピックを救い出した最功労者であるのは間違いないようです。
 国際的なビッグイベントとして、世界中から注目を浴びなくては成らない。多くの観客を動員し、開催地に資金を落としてくれるまでに育てる必要がありました。アマチュア選手達が細々と参加するスポーツ大会の一つでなくすること、それにはマスメディアの動員が最適でした。派手にメディアを投入し、世界中の耳目を集めたのでした。簡単なようで、非常に難しい課題であったようです。
#Nのロス大会では、商業化路線が図に当たって、大幅な黒字と成りました。そのアナウンス効果に目を付けた企業がスポンサーに名乗りを上げ、オフィシャルスポンサー制度で多額の資金を集めました。メディアも争って放映するようになり、特定局に独占的放映権を与えることで、放映権料を徴収するようにも成りました。年々スポンサー料と放映権料は高上りしましたが、それでも収入は増え続けています。

 オリンピックは儲かる。オリンピックは、開催することに意義がある。開催候補地は、何年も前から名乗りを上げ、選考委員を接待&賄賂で縛ろうとまでしました。大会の本来の趣旨とは離れてしまいました。地元経済を潤すイベント、国際的政治ショーの演出できるイベント、へと変貌しました。本音を言えば、スポーツの大会でなくても良いのです。政治的には・・。
 シドニー大会では、自らの会長歴20年の集大成として、派手な個人パフォーマンスもありました。サマランチ会長は定年で引退だそうです。商業化路線には不満も燻っていたそうですが、おそらく政治的な要望に従って、今後も続けられるのでしょう。出場する選手たち自身が、商業化路線に賛成なのですから・・当然でしょうか。

 それでも、200カ国の選手が参加したビッグイベント。国連加盟国を大きく上回り、どんな国際会議よりも多くの人々を一同に集めた意義は、否定できません。南北朝鮮の一体行進、紛争国からの選手受け入れ、国際平和の演出、良い意味での政治効果も上げたようです。シドニー大会も、大幅な黒字を計上したようでありますしね。

00.09.30
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