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経済の研究No.32
消滅するダンキンドーナツ

 7月24日、残念なニュースが流れました。ドーナツ屋の老舗ダンキンドーナツが消滅するというのです。ポン太がお茶の水店に務めたのは1991年のことです。あの頃はピークは過ぎていましたが、まだまだ良い業績を収めていました。そのピークは1988年で関東圏を中心に126店舗(FCが76店舗)でしたが、7月現在で5店舗(FC4店舗)です。その凋落ぶりは目を覆うばかりです。8月末に全店を閉じて幕となります。
 務めていた頃は断片的な話しか聞いておらず、詳しいことは書けませんが、どうかお許しください。元々は米国のドーナツチェーンであり、とある日本人がブランド独占使用権を得たそうです。米国社は「ドーナツ・アンド・コーヒー(D&C)」の看板を掲げる最大手チェーンです。日本D&C(仮称。旧来の名称は知らない)は手軽なスタンド方式ショップとしてシェアを延ばしましたが、米国の手法をそのまま導入したためにいくつか問題がありました。まずコーヒーです。米国そのままでは日本人の口に合わないので、後にキーコーヒーに改めました。つぎにドーナツです。当初はオールドファッションなど数種類でしたが、日本人はいろんな味覚を味わうのが好きなので、種類を増やしてきました。その過程で問題になったのはドーナツ生地です。何もかも冷凍生地を使っていたため、味が悪かったのです。
 創業期のメンバーの一人が生地は店舗で作るべきだと主張して分派したと聞いています。それがダスキン系列の「ミスタードーナツ」の創業者になったそうです(読者の方の情報で、ダンキンとミスタードナツの創業者は実の姉妹関係にあるそうです。)。結局は手間のかかる生地は冷凍を残したものの極力店舗で生地を作るようになっていました。スロー(廃棄)の回数も増やして対応したようです。たしか10時、17時、0時の三回だったと思います。

 D&Cは多店舗展開に際してセゾングループの傘下に在り、独立系から同じく傘下入りした吉野屋と合併して「吉野屋D&C」という社名になりました。規模の大きい吉野屋が中枢を占め、D&Cはその管理下に置かれるような存在でした。このため上層部は吉野屋系の人物が多く、あまりD&Cは大事にされていなかったらしいです。そのため戦略がニーズにマッチしないものであったように思います。
 一例がラッキーカードによる景品プレゼントです。ミスタードーナツが成功をしてから参入したものであり、後手に回ったばかりか貧弱なものが多かったように思います。つまりブランド化しませんでした。内装や吊り公告などが吉野屋風でおしゃれでなかったのです。その分だけオジサン客が多く、若い女の子は近くのミスタードーナツに流れる傾向がありました。またジェラートに拘りすぎました。ジェラートは大きなショーケースが店舗面積を占める割には販売単価が高かったのです。またカップアイスはハーゲンダッツなどに見劣りするなど問題があり、コーンアイスの客は手間が掛かる割にドーナツやドリンクを合わせて買ってくれませんでした。きわめて効率的でありません。加えて24時間営業を採用し始めましたが、終電の終わった都心部で客入りの多いはずがないのです。逆に従業員の士気低下とクリンリネスの悪化を招いていました。いずれも上層部にD&Cの分かる幹部がいなかったためです。
 バイザーの半分ほども吉野屋系の出身者で、現場をよく理解していませんでした。たとえばバイトの調整がつかない他店舗へヘルプと称して派遣されるのですが、店舗の規格がまちまちの上にマニュアルの不備らしく、サービスの質が揃わぬ不便がありました。アルバイトの意見としてとしてバイザーに伝えましたが、結局は理解されませんでした。またチュロスなどの新製品をいくつか投入しましたが、ミスターのダブルショコラのようにヒットを飛ばすものがなかった。チュロスもべらぼうに長い棒状で持ち帰りには適さないなど現場提案があったが採用されませんでした。商品企画力と開発力が不足していたのです。また店内放送がいつまでも8トラであったのも貧乏くさい話でした。やはり潰れるべくして潰れるのでしょうか。吉野屋D&Cはダンキンドーナツを全て閉鎖して今後は収益の見込まれるカレー専門店「POT&POT」などに注力するそうです。これなら吉野屋の業態と客層に近いから収益が上がるかも知れません。社名も変更するのでしょうか。

98.07.26

補足1
 日本経済新聞朝刊5月2日の記事によれば、当初は直営店25店を今期中にカレー店に業態転換し、残るFC(フランチャイズ・チェーン)の18店舗を子会社に移管する予定であったと言います。この子会社の名前は「コモコフード」、スーパーなどでたこ焼き・たい焼きを販売する子会社だそうです。ダンキンドーナツも早い段階で子会社として分離されていれば、今日の事態を回避できたかも知れません。

補足2
 読者の方から情報を頂いて一部を修正しました。事実かどうか分かりませんが、ダスキンがミスタードナツを始めたのは、店舗の床マットの優秀さを一般消費者にアピールする狙いがあったとの噂を学生時代に聞きました。いずれにせよ、ダスキンが多角化の一環としてドーナツ事業を始めたのは確実で、しかもアメリカでの商売ノウハウを蓄積していた同社が、ダンキンドーナツの店舗標準化に取り組んできたことが今日の優勝劣敗を導いたようです。ダンキンドーナツは標準化どころか個店経営に拘りすぎた感があり、それでも各店の個性化が図れれば救いがあったはずですが、性格付けさえも十分でなかったようです。たとえば東京駅八重洲改札口に出店したキオスクスタンド形式の店舗も大コケしました。多すぎたFC店舗の存在と、マニュアルの不徹底と、場当たり的な出店とが、厳しい表現ですがダンキンドーナツの破綻を招いたモノでしょう。

補足3
 ダンキンの元店長という方から、補足を頂戴しましたので、掲載します。しかし、たくさんの事実誤認で申し訳ありません。すでに掲載から14か月も経っていますので、本文訂正でなく補足訂正とします。なお、本テーマに興味のない方は読み飛ばして下さい。
(1)(本文で仮称とした)「日本D&C」は存在せず、社名は「日本ダンキン」
(2)日本ダンキンは最初からセゾン系資本によるもので買収ではない。ただし、
   提携交渉の段階で「代理人」と称する日本人が居たらしい。
   このところは、補足2の情報提供者と情報が違ってます。
(3)現在のオールドファッションは、日本が独自に開発したもので、製品導入は
   1988年(吉野屋と合併した年)から。ただし米社では、いわゆるプレーンを
   オールドファッションと名付けている。
   ミスドのオールドファッションと極めて類似しているが、本場は米国でない
   というのが不思議です。あとダンキンの店内広告にオールドファッションは
   本場で昔からと書いてあったような・・・。
(4)冷凍生地の使用は1987年からで、創業当初ではない。この時点で味の低下が
   著しかった。またケーキ系・フレンチクルーラー系は冷凍生地でない。
   ケーキ系とフレンチクルーラー系は確かに生地から作っておりました。表現
   上に誤りがありました。
(5)ミスドはアメリカにあり、これはダンキンの分派。いまだにローカルチェー
   ンだ。
   創業者の対立は国内の話でなく、アメリカでの話なのですね。どうりで話が
   かみ合わないと思いました。
(6)24時間営業は、1978年頃から導入されていた。都心繁華街やターミナル駅
   中心だった。従業員の士気低下とクリンリネス悪化が著しかったが、上層部
   にもダンキン系の人材がいた以上、そのためではない。
(7)キャンペーンは合併後から顕著だったが、お荷物以外の何物でもなかった。
(8)8トラテープは1986年以降の出店店舗のみで、セゾン系会社が製作した物を
   グループ内の利害関係で採用したもの。
と、たくさんのご指摘を頂きました。A48頁の内容でしたので、文章は私が勝手に再構成しました。意図が違っているかも知れません。

99.10.11

補足4
 補足3について再度補足をいただきました。オールドファッション(OF)についてです。
 米国の「ダンキンドーナツはオールドファッションとコーヒーから始まった」というコピーがあり、店内の掲示物やランチョン(トレーに敷く化粧紙)に書かれていました。このコピーは古くからあったものだそうですが、1988年に新開発OFが投入された後も同じコピーが使われていたそうです。
#Nに投入された新製品は、米国のオリジナルとは素材が異なるもので、どちらかと言えばミスドのOFと類似した商品でした。したがって、本来なら上記のコピーは偽りを招くので無くすべきだったのですが、そのまま使われていたと言うことです。ちなみに米国のOFはプレーンと呼ばれているタイプのドーナツであるそうです。

99.10.12
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