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政治の研究No.28
マスコミの使命は(改題)

 マスコミの使命事実を客観的に、かつ正確に読者に伝えることです。改めて言うまでもありませんが、近頃はこの原則が守られていないように思います。かつて週刊朝日の副編集長を務め、のちに作家に転向した森本哲郎氏の著書「「私」のいる文章」を引用するまでもないことですが、新聞記事とは「私」の居ない文章でなければいけません。「私は・・・と思う」「私は・・・と予測する」「私の判断では・・・である」と入った文章を使うことは許されません。単に「私」を削ればいい訳でなく、記者の私見(あるいは主観)を加えて事実をねじ曲げることはあって成らないことです。
 誤った事実を伝えるのでなくとも、誤った認識を与える方法が近頃は使われています。毒物混入カレー事件に限りませんが、記者の心証に見合った証言だけを都合良く抜粋して引用し、反対意見をオープンにしないことで、読者に記者の心情通りの知識を植え付ける場合があります。これは新聞記事として不適切であり、そんな記事をそのまま紙面に掲載する編集長は、編集長たる資格がありません。新聞でも雑誌でも署名記事(末尾に実名を付した記事。PNやイニシャルのものも含むと解する場合があります)では私見(主観的意見)を書くことが認められていますが、署名記事でも特定企業の破綻予想や殺人犯の推理は、読者に誤認を与えるため一般紙には許されません。

 電車の中で中吊り公告を見て気になることはありませんか。近頃は経済誌や教養紙でもないのに、不況分析や破綻企業予測をしている雑誌が増えていませんか? 一般大衆誌・婦人雑誌・ゴシップ誌・娯楽誌、そしてファッション雑誌に至るまで経済記事を掲載しています。最近は「長銀」の文字が踊っている記事を頻繁に見掛けます。また新聞でも、スポーツ紙や地方紙が経済分析・景気予測などの特集記事を掲載しています。それだけ国を挙げて経済に興味を持つことはよいのですが、どうも異常なのです。ゴシップ誌や娯楽誌の記事は興味本位のままに有ること無いことを書き散らしています。スポーツ紙や弱小地方紙も取材能力が欠如したまま経済危機の警鐘を鳴らし続けています。当HPも取材能力の欠如では同様ですが、それなりの資料収集と資料吟味はしているつもりです。近頃のマスコミは読者受けを狙ったでっち上げ記事を量産しているような気がします。
 国民の大多数は複数の新聞を読み比べての事実分析をしていません。雑誌記事も同様です。真剣に捉えないとしても、記者の誘導する結論に引きずられてしまうことがあります。その結果、健全な企業が信用不安を誘発されて本物の危機に追い込まれたりするわけです。それでなくとも政局の混迷が続き、有効な経済対策が打ち出せない中で、必要以上に政治不安や経済不安を増幅することにどんな社会的メリットがあるのでしょう。あまりに楽観的で事実とかけ離れた発表を繰り返した某庁のやり方は問題ですが、現在の病巣を的確に示した上で、どのようにすれば国が良くなるかという展望を示し、日本に活を入れることこそマスコミの使命ではないでしょうか。それができないのであれば事実報道に徹して、政府が有効な政策を打ち出すことを待ってみるべきではないでしょうか。

 ちょっとピンと来ないでしょうか? 例えば長銀危機が大蔵省から漏れた直後、マスコミは長銀から長期債の解約をするべきだと大合唱をしました。実際は全額保証することを1997年の日債銀危機で発表されていたにも関わらず、不安心理を煽ったために毎日500億円を超える解約が殺到して長銀は資金ショートの危機に陥りました。長銀の破綻回避のために住友信託銀が救済合併を発表しましたが、1週間もすれば両行の合併は無理だという憶測記事が流れていました。その後は合併破談コールの大合唱が両行首脳や顧客に与えたダメージについて反省をするべきです。たしかに住友信託銀との合併も破談に終わるかも知れませんが、合併判断は両行のトップの仕事であって、マスコミが手を突っ込んでかき回すような次元の話ではありません。
 マスコミは読者の意見を代弁する義務もあると強弁する記者さんもいらっしゃいますが、貴方たちの言う読者とは誰を指して言っていますか、貴方は何人の読者にどのようにして意見を聞いたのですか、と言いたいです。突き詰めると記者が望んだ結末を読者も望んでいるに違いないという、甘えと思い上がりの結晶でしか無いのではありませんか。

 どうか記者諸君、マスコミの使命は、事実を客観的に、かつ正確に読者に伝えることなのです。決して読者を導いて上げることでも、読者を騙すことでもないのです。

98.08.12

補足1
 いまのマスコミを「船幽霊」に喩える人が居ます。操舵を誤って迷走中の船に近づいて次々に海水を注ぎ入れようとするそのスタイルに似ているためだそうです。一人の船幽霊が取り付いた船には次々に船幽霊が集まって船が沈むまで離れません。船は港(まあ政府ですね)に救援を求めて懸命に海水の汲み出しをしようとしますが、穴の空いたバケツやさび付いたポンプでは船幽霊に太刀打ちできず、沈んでしまうと言うのです。船が金融機関であれば、そこから急いで逃げ出すネズミは預金者でしょうか・・。結構、当を得た喩えのようです。

補足2
 一連の毒物混入カレー事件報道で、あまりに稚拙な取材が目立ちます。たとえば週刊文春で「犯人と目される夫妻の家の壁に取材陣が張り付いていたら、ホースで水を掛けられた」という記事がありましたが、プライバシーを侵害しているのですから当然です。しかしホースで水を掛ける方がおかしいという記事、何の臆面もなく書けますね。それと長野サリン事件でもそうでしたが、マスコミが犯人扱いした人物が犯人でなかった場合、マスコミは何も責任を取っていませんね。実名を出さなかった、家の表札にモザイクをかけた、なんて話では言い訳にも成りません。近所では評判に成りますし、野次馬が現地まで見学に来ますし・・・多大な迷惑を掛けるはずです。本当に犯人だと思うのでしたら、名誉毀損で訴えられるのを覚悟で実名報道すべきです。その覚悟がなければ一切を発表しないことですね。彼等の主張する「報道のジユウ」はゴシップでも掲載しないと紙面が埋まらない報道上の「事由」のことなのでしょうか。

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