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政治の研究No.32
テロはテロで制止できるのか

 事件の発端は1998年8月7日、ケニアとタンザニアの両国にある米国大使館近くで同時爆弾テロが行われた事件です。この事件による死者は257名、負傷者は6,000名に及んだといいます。ケニアのナイロビでは、大使館裏駐車場に乗り付けたトラックに爆弾が搭載されており、アラブ系と見られるテロリスト達が自爆テロを決行したそうです。タンザニアのダルエスサラームでは、大使館で使用する給水タンク車に仕掛けられた爆弾が爆発したそうです。前者は繁華街で発生したために被害が大きく、後者は人通りの少ない場所で被害は相対的に小さかったと聞いています。

 未だに世界ではテロリズムは無くなりません。かつて要人テロが繰り返された歴史がありましたが、これは訴える何かが有ったという点で同情を集める余地があったように思います。弱者が強者に噛みつくためには、テロ暗殺という手段しか選択肢がないと信じたのでしょうから。しかし歴史を振り返ってみて、要人テロによって歴史の流れを変えたことはありませんでした。結果的に歴史の進みを早めたり、遅らせたりすることはあっても、決してテロによって歴史が大きく転換したことはない、のです。所詮はテロリズムは邪道の行為なのです。
 これに対して、無差別テロは、弱者(?)がより弱者を巻き込んで強者にダメージを与えるというものです。これほど卑劣な行為はありません。どんなイデオロギーの対立が有ろうが、どんな政治的・経済的・社会的抑圧を受けたのであろうが、罪のない民衆だけを犠牲にするテロリズムは、理解する余地も同情する余地もありません。彼らの犯行声明も何も相手にすることがないのです。先にはエジプトのルクソールでも無差別テロが、かつては日本赤軍がダッカ空港で無差別テロを行ったこともありました。確かに無差別テロは大きな事件ですが、合わせて彼らの犯行声明をマスコミが取り上げるのは極めて愚かなことです。彼らの主張を取り上げさせるために派手なテロ事件を繰り返すからです。マスコミは犯人の声明文は黙殺し、ひたすら卑劣な行動であることのみを批判すればよいのです(その場合はマスコミもテロの対象になるかも知れませんが・・・勇気ある行動に期待します)。

 しかし、冒頭の無差別テロは犯行声明がありませんでした。アメリカ大使館がターゲットであったことからアメリカに対する何らかの示威行動であることは間違いありません。アメリカ政府宛には声明文が届いていたかも知れません。だとすれば肩すかしを食らわせてテロリストの意図を砕いた政府の決断は立派だと言えます。声明文が無くとも、この時期に在アフリカ大使館が襲撃された事情などを勘案して犯人は掴んでいることでしょう。
 問題はこの後です。アメリカ合衆国は、大人げなくもテロに対して直接報復に出ました。それも自国領ではない、アフガニスタンとスーダンの国内拠点にミサイルをぶち込むという荒技でした。本来で有れば両国政府に何らかのアクションを起こした上で攻撃をするべき(だからといってミサイル攻撃は問題でしょう)ですが、無警告で攻撃を加えました。しかもスーダンで化学兵器工場と米軍が認定した拠点は民間施設であったようで、事実で有れば米軍こそが他国国民に無差別テロを仕掛けたことになります。アフガニスタンは何故かおかしな声明を出していました。米軍が今回の首謀者と睨んだウサマ・ラーディン氏は絶対に引き渡さないとの声明です。もしも同氏がテロの首謀者であったならアフガニスタンはテロに荷担したのですから攻撃を受けたことは自業自得です。しかし米軍のミサイルに殺されたのはラーディン氏でもなく、声明を出したイスラム原理主義勢力のムハマド・オマル氏でもなく、罪のない民衆であったことはやはり米軍によるテロに対するテロ報復だったことになります。テロでは問題は解決しない、歴史の流れは変えられないことは、アメリカ合衆国には理解して欲しいです。

 ところで今回のミサイル報復にはもっと大きな疑惑があります。何故この時期に、何故こんな方法で報復する必要があったのでしょうか。本来で有れば、まずラーディン氏が犯人であると宣言し、テロリスト達がスーダンとアフガニスタンに居ることを探知したと発表し、テロリストには断固対決すると声明文を出し、そして両国政府に犯人の捕縛と米国への引き渡しを要請し、所定の手続と時間を踏んだ上で攻撃を加える、という手順が必要です。今回の報復はあまりに性急で大義名分が得られる話ではありません。事後に正当性を主張したところで世界の了解は得られないでしょう。得られると考えているのなら、合衆国はポン太が考えるよりもまだまだ子供であります。日本政府は即刻理解を示したという話ですが・・・。
 8月17日、合衆国のクリントン大統領は長い長い不倫疑惑の問題について、事実関係を認め、これまでの証言を大きく軌道修正しました。テレビ演説で国民に詫びも入れましたが、この謝罪証言は前例のないことで大統領の大きな権威失墜に繋がることは間違いありません。今後は不倫疑惑のもみ消し工作がどのように明らかにされるかで、一層の権威失墜は免れません。ところが合衆国国民は単純です(みんながそうであるのではなく、上層部の人たちとマスコミのみなさん。つまり国民意見を代弁していると信じている方々。そしてマスコミの主張を疑わない知識迎合層第1回を参照)の方々です)。合衆国に対する挑戦があれば正面から受けて立つ、そんな強い大統領を求めています。
 かつて大日本帝国、ナチス・ドイツ、ソ連、ベトナム、ロシア、イラク・・・いくつもの強敵を相手にする大統領は人気がありました。いや人気が無くても、対決姿勢を示すことで人気が出ました。今回の権威失墜が長引けば好調な米国経済にダメージを与えかねませんでした。今回の無謀とも横暴とも言える報復テロは、単に大統領の人気回復に使われた可能性があります。もしも正当な手続を踏んだのであれば、熱しやすく醒めやすい国民感情のことですから人気回復の即効薬とならなかったでしょう。事の正邪はともかくとして、合衆国の利益ためだけに不幸な事件が起きたような気がして成りません。

 みなさん忘れてはいけません。大日本帝国では政府批判や軍批判が出れば、即座に過激派のアジトが暴かれ、武器が押収され、それによって政府も軍も正義の味方を気取り、国民の関心を避けてきました。戦時中は有りもしない大勝利をでっち上げて国内の不満を抑制することが常態化しました。国内の不満を国外に振り向けることも政治の常套手段です。とはいえ、第三国の罪もない人々を殺して国内問題が解決するようなことだけは許してはいけません。今後の動向を注視しましょう。しかし何が行われても、テロをテロで制止することは絶対にできない、のです。

98.08.22

補足1
 本文の発表に伴い個人情報を少し隠すことにします。対テロ対策というのは冗談ですが、、、少しばかり危ない主張が増えてきましたので。

補足2
 日経新聞の8月25日夕刊にアメリカ擁護の記事がありました。編集委員伊奈氏の「テロの恐怖他人事か」という記事ですが、何と云いますか厳しい書きっぷりの割には、論理が矛盾していて意味不明です。これって編集長のチェックが効かないシステムなのかな。こんな論調を載せるようでは日経新聞さんもあまり当てにできなくなる・・・と思います。記事中「テロリストと交渉しない」という発言は正しいと思いますが、それと他国にミサイルを撃ち込むことの正当化との間に全くの論理立てができていないこと、もう一度考えて欲しいです。

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