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政治の研究No.40
戦略と戦術について

 難しい話なので、まず定義からしますね。「長期的・全体的展望に立って闘争の準備・計画・運用の方法」を戦略と言い、「個々の具体的な戦闘における戦闘力の使用法」を戦術と言います(大辞林から引用)。日本の防衛庁では、国防と防衛の違いをご存じ無いようですが、まあ戦略と戦術の違いはご存じなのでしょうね。。。戦略と戦術は上記の定義のとおり明確に異なるものです。とくに重要なことは「戦術は戦略構想に従って用いられるもので、場当たり的に戦術を積み上げたところで、そこに戦略は生まれない」と言うことです(補足1を参照)。

 今回は戦争の話ではありません。国会における与野党の攻防の話です。今議論されている金融再生法案関連の話は、その戦略ビジョンが欠落しています。政府・自民党としては、長銀を救いたい、というのが最終目標でありますが、どう救おうかという展望がなかったために、それに対応する戦略が組み立てられなかったのです。長銀を単独で生き残らせたいのか、是が非でも住信と合併させて救済したいのか、外資でも良いから合併させて救済したいのか、国有化してでも法人格を残したいのか、長銀を消滅させたとしても金融システムを救いたいのか、、、政府・自民党の内部でさえ、各人各様の主張をしているわけですから、野党と対決するどころの次元には無かったのです。まず小渕首相がビジョンを打ち出して閣議の場で諮る、同時に党三役に命令して党内の意見のとりまとめをする、意見が出尽くした時点で戦略ビジョンを確立して、政府内と党内の了解を得る、そうした手続が全くありませんでした。とにかく救いたい・・・という議論であったために論点がぼやけ、場当たり的な対処策の矛盾を野党に衝かれ、戦術的にもポイントを稼げない・・・という混迷政局になりました。
 結局のところ、党内の意見やマスコミの意見を集約してビジョンを構築してきた民主党に・・・大きなポイントを稼がせてしまいました。民主党にしても、明確な戦略ビジョンがあったわけではありません。長銀を生かすのか、殺すのか、そのビジョンを欠いたからこそ、公的資金の導入はおかしい、という議論に終始してしまったのです。生かすのであれば悠長な議論をしている時間はなかったのですし、殺すのであればもっと明確な理由を突きつけて長銀処理を迫るべきであったのです。ただ幸いにも自民党が戦術上の失点を重ねてくれて、ポイントを儲けたと言うことに過ぎません。今後、民主党として長銀をどうしたいのか、さらにその後の金融対策はどうするのか、という点を自民党が攻撃してきたときに明確に反論できるようなビジョンを描けるのか、がこれからの課題です。

 今の政治家さんには場当たり的な発言が多く目立ちます。ご本人でさえ、よく考えた上での発言なのか意味不明なものがありますが、それがマスメディアに乗って世間に流布されるとどうなるのか、もう少し考えて欲しいものです。昔の自民党には戦略構想を緻密に組立て、さらにその戦略を達成するための環境づくりの上手な政治家が多く居ました。周囲が気付いたときには、すでに勝負の勝敗は決まっていて、すんなりと物事が運ぶという・・・もう昔話ですね。私は鳩山一郎氏を自民党総裁、そして内閣総理大臣に押し上げた三木武吉氏を一押しにしています。つぎは田中角栄元首相でしょうかね。それと小粒ですけど竹下登元首相ですね。最近では格別見当たりませんけれど。
 三木氏は戦後の公職追放組の一人で、追放解除になって自由党に復党した際に鳩山氏と河野一郎氏らと語らって吉田政権をひっくり返しました。少数派の鳩山派をベースに野党と見事な駆け引きを実現し、さらに与党の自由党から分派し、野党の民主党と連合して日本民主党を結成して巻き返しに成功しました。結局は念願の鳩山内閣を日本民主党で実現し、さらに自由党を吸収して自由民主党を結成しました。三木氏の戦略ビジョンは、吉田内閣を潰して鳩山内閣を作ること、保守合同を実現して安定政権を作ること、の二つであったと言います。数々の苦難を乗り越えて両方とも実現したバイタリティには驚きを隠せないものの、それ以上に戦略構想の緻密さと、隠密にことを運んだ周到さと、が評価できます。もちろん鳩山氏のカリスマ性も見落とせませんが。
 田中氏の場合も戦略構想が確かで、とくに先行きの見通しが正確であったといわれています。ちょっと政治倫理観に問題はありましたが、日中国交回復、国土開発などは明確な戦略構想を展開した上で、具体的な戦術を詰めるという手法で着実な成果を上げました。何よりも田中氏の本領は首相時代よりも、池田・佐藤両内閣で参謀役を務めていた当時の方が切れと冴えがあったと言い、スキャンダルで味噌が付いたことは残念でなりません。ロッキード事件後もキングメーカーなどと言われましたが、この時代にもう少し今後の戦略ビジョンを構築して竹下氏以下に伝授してくれてあれば、違った日本が存在したかも知れないのです。
 竹下氏の戦略構想はあると思いますが、、、あまり表面に出てこないので分かりません。佐藤内閣の官房長官、田中内閣の官房長官、三木内閣の建設大臣、大平内閣の大蔵大臣を歴任し、党内では竹下派を旗揚げして田中派の大半を掌握し、内閣総理大臣の座を射止めました。その後、羽田氏、橋本氏、小渕氏という三人の弟子を内閣総理大臣にまで育てたことも評価されるでしょう。一人だけ明確な戦略ビジョンを放棄した不肖の弟子が居ますが・・・。単なる場当たり的対応でここまでの成果が得られるはずはありませんから、やはり明確な戦略ビジョンを持ってのことでしょう。そのビジョンが正しいかどうかは、今後の歴史学者が検証することだと思います。

 偉大な政治家さんはともかく、これからの政治家たちが、どのように日本の舵取りをしていくかは関心のある話です。二世議員、三世議員、禅譲議員が多い中で、その経験不足を補いつつも、明確な戦略ビジョンを構築し、それを実行していけるか、、、それをじっと見守るとともに、必要があれば批判・助言をしていかねば成らないでしょう。この平和ボケした日本社会で、その甘ちゃんな考え方で世界的不況に立ち向かうことは極めて危険なことです。21世紀となれば、不況問題のみならず様々な社会的矛盾が噴出してきます。人口問題、産業問題、国土経営問題、食糧問題、国家財政問題、軍事問題・・・そんな数々の問題が顕在化したときに、今と同様な場当たり的対応では国は必ず潰れます。まず国家レベルでの戦略ビジョンを描ける人物を見つけだし、それを着実に実行できるリーダーを選出し、彼らをサポートできる要員を確保して盤石の体制を作る・・・それこそが今必要なことです。党利党略なんて、派閥利益なんて、さっさと捨ててしまって日本のこれから在るべき姿を明確に示して欲しいものです。

98.09.27

補足1
 太平洋戦争の初期段階における大日本帝国は、個々の戦場で単発的な勝利を確保し、その戦術的勝利の積み上げで、必ず世界相手に勝利を得られると考えていました。完全な戦略ビジョンの欠如でありました。そのため日本軍は必要以上に戦線を拡大し、人員や物資を分散・消耗させ、連合軍に個別撃破の好機を与えました。単に情報収集能力の不足、物量差で負けたのではないのです。逆にマッカーサー元帥が率いた連合軍は、如何にして東京を抑えて日本を降伏させるか、という明確な戦略ビジョンを持っていました。まず、どのポイントを攻略し、それを拠点にしてどこを制圧し、さらに何処を抑えるか・・・彼が失敗をしそうになったのは個人的な思い入れの強いフィリピン制圧の際だけで、それは自ら戦略ビジョンを外した甘さが招いた危機でした・・・しかし日本軍の連携不足で救われ、あとは順調に戦略ビジョンとおりの作戦遂行に成功しました。いくらの兵力をどこに投入すれば、どう勝てるのか、その緻密な戦略が立てられた時点で、既に勝利は約束されていました。戦術は所詮、戦略を達成するための手段であり、戦略が完璧であれば戦術での失敗はあり得ません。仮に失敗を犯したとしても、戦略が崩れない限り、いくらでも巻き返しが可能なものです。日本軍は特攻隊という戦術上の非常識で連合軍を悩ませましたが、それとて戦略上の劣勢を巻き返すには至りませんでした・・・その戦略自身が十分確立されていなかったのですから。

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