前頁へ  ホームへ  次頁へ
政治の研究No.131
遺跡発掘ブームを憂う

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と申します。また近頃も、遺跡発掘によって新発見が相次いでいます。これはこれで、悪いことでは無いのです。我々が知らなかった過去が少しずつ明らかになることは、とても素晴らしいことですから。しかし、発掘物の偽造疑惑という嫌な事件が相次いだことを、忘れては成らないのです。

 発掘するたびに新発見が繰り返され、「神の手」などと騒がれた偉い先生がありました。何のことはなく、自分で持ち込んだ石器だの何だのを、古い地層に埋め込んで、さも新発見であるかのように主張していただけでした。年代を含めて出土品の評価をするのは発掘者本人ですから、言いたい放題でした。村興しだと騒がれ、新名物が生まれたりしましたが、先生の権威失墜で大変な話に成りました。あわや小中学校の教科書にまで、ウソが大発見として書かれるところでした(日本史関係の出版社が、相次いで改訂に及びました)。

 考古学は、地道な研究を重ねる必要があります。歴史的事実の断片を追いかけて推測するのも結構ですが、結局は出土した物から事実だけを積み上げて、入念な考証を行い、初めて何かが見つかります。多くは、ありきたりな事実の積み重ねでしかなく、大発見はごく一部です。出土品の年代判定でさえ、未だ絶対に正しいとは言えず、多分に推測の余地があります(とくに数十万年オーダーの調査では、地層から推測するしかない厳しい状況にあります)。また単に古いというだけで、歴史的価値を認めようとすることは、危険なのです。
 我々は豊富な文献資料を持っている歴史的事実でさえ、十分に把握できていません。明治初期の話でさえ、上辺の事情しか捉えることができないのが、実情です。一片の手紙、一冊の古文書、とある言い伝え、そうした状況証拠を積み上げて、全体像を推測するのが精一杯です。まして、その推測さえ学者によって意見が分かれます。考古学が扱うのは、もっと昔の時代です。その困難さは推して知るべきです。

 考古学は、大変に時間とお金のかかる研究です。遺跡の発掘ともなれば、大量の人員を動員して、限られた時間で調査し終えなくてはいけません。ひとたびチャンスを逃すと、再調査は望めないことが多いのです。大量の出土品が出たとしても、多くはスカです。それを分別し、新しい何かを見つけだすのは大変な作業です。うっかりスカと判断した物の中に、大事な事実が埋もれていることもあります。大発見と直感したのが、とんだ判断ミスというのもあります。じっくり丹念に分析することが必要です。
 しかし我々は、すぐに成果を求めたがります。あれだけ有名な先生が、あれだけの規模で調査したのだから、何か一つぐらいは発見があるだろう・・と期待を寄せます。礎石が出ただけで、いきなり建物の復元予想図を書いてしまう、お茶目な先生がありますが、これはダメなやり方です。喜んで紹介するマスメディアも、ダメなのです。

 考古学は地味で地道な仕事であること。もっと我々が理解を示さなくては、行けないのです。大発見ばかりしている先生をチヤホヤしては、ダメなのです。そんな先生に大量の資金を提供しても、結局はドブ金になってしまったりするのです。地味で地道な作業を、丹念にコツコツと続けている先生にこそ、お金と人を手当てするべきなのでしょう。
 大発見があるのは良いことですが、考古学が派手な学問だと思うのは、ちょっと遠慮することにしましょうよ。

01.05.13

補足1
 遺跡の発掘物の偽造というのは、昔からあります。米国ニューヨーク州のカーディフという農村で、畑から巨人像が発掘され、発見者が物見高い多くの観客から金を集めました。検証の結果、巨人像は真新しい石膏で造られたものであることが分かり、さらに発見者が作らせた贋作であることが発覚しました。これをマスコミや学者が本物と断定して騒ぎ立てたことが、失敗の原因でした。「発見」は、1869年でした。
 また、仏国マドレーヌ山中のグローゼルという山村で、畑から大量の土器片などが発見されました。大多数学者が本物と認定しましたが、ある学者が付着物の新しさや土器の組成の弱さを指摘して贋作と主張しました。偽造にしては多種多様で物量も膨大であること、発見者当人が金儲けを意図していないこと、反証となる付着物が発見後に付着した可能性があること、などで真贋の決着はついていないそうです。「発見」は、1924年でした。

 以上2つの事件は、小学館文庫「フェイクビジネス」(ゼップ・シェラー著)に詳しいです。

01.05.13

補足2
 日本で最初の旧石器が発見されたのは、1946年の岩宿遺跡(群馬県笠懸郡)でした。わずか50年余りで数多くの旧石器が発見されたことになりますが、それだけに十分に確立されきっていない面もあるようです。旧石器とは1万2,000年前以前に作られた石器の総称で、あいまいな部分も多いです。今後の再調査を含めて、正しい古代史が形作られることに期待しましょう。

01.06.03

補足3
 東北旧石器文化研究所の副理事長だった藤村氏は、これまでに自分がねつ造してきた事実を概ね認めているそうです。日本経済新聞などの報道によれば、ねつ造であることを認めたのは、7道県の40遺跡に及び、およそ二十年分の研究成果が真っ赤な嘘であるそうです。裏を返せば、過去二十年間も一人の嘘に振り回されてきたわけで、教科書はもちろんのこと、多くの専門書も記述の訂正を強いられるとのことです。
 一つには、日本において三万年以上昔の人類の痕跡が出ないことに劣等感を持っていた「業界の焦り」があり、次々に最古の遺跡を発見する藤村氏の暴走ぶりを、むしろ歓迎していたらしいです。第一人者故に新発見を積み重ねるというポジティブな業績評価も、結果的にねつ造に奔走させる結果を生んだとも言えて、藤村氏だけを非難する資格は、我々に無さそうです。
 それにしても世界的に、日本の考古学会の幼稚さを晒しました。最近でも「新発見」が派手に報道されていますが、「最古」「大発見」という表現を自粛することにしましょうよ。

01.10.13

補足4
 藤村氏の事件は今年5月までに決着を見ました。藤村氏が関与した前・中期旧石器時代の遺跡と遺物は「学術資料として使用できない」と、日本考古学協会の特別委員会が結論づけました。

 藤村氏とは関わりなく、数多くの遺跡調査が今も進められています。良い発見がある中で、相変わらず学者の勝手な想像が一人歩きするニュースを目にします。アバウトな臆測を交えて実像を歪めることなく、考古学者らしく精緻に分析した上で、事実と推測を切り分けて発表していただきたいものです。
 これとは別に、会計検査院が史上初の史跡調査を実施したそうです。対象は24都道府県の273カ所の遺跡で、いずれも国庫補助金が支給されているものでした。調査の結果、保存・管理が十分でない史跡が14都道府県の34カ所にも達していたと報告されています。一部が駐車場や野球場に変えられていたり、付近住民が畑に流用していたりしていたそうです。補助金の無駄はともかく、史跡の保存・管理についても考古学者がアドバイスできる環境が育って欲しいです。

02.11.30
前頁へ  ホームへ  次頁へ