前頁へ  ホームへ  次頁へ
政治の研究No.88
敗戦を讃えることなかれ

 近頃、「仮想戦記物」(と勝手に命名)が書店の平台に占めるスペースが増えています。大きく分けて軍記物と近代戦争物がありますね。前者は、戦国時代などで違う誰かが天下を取ったかも知れないという歴史ifを膨らませたもので、都合のいい事件やデータを都合のいい解釈で書き連ねた作品です。そう罪の大きいものはありません。しかし後者は、とくに太平洋戦争において、こうしていれば日本が勝ったに違いないという思いこみの多い作品で、いわば戦争称賛・軍隊賛美という罪の多い作品です。

 近代戦争物の仮想版は、昭和20年代の後半から散見されたそうです。ようやく戦中の資料が集まり始め、GHQの重石が外れたことから、戦史研究と称してチラホラと出てきたようです。例えば、ミッドウェー海戦で機動部隊が無傷だったらとか、山本五十六が戦死しなかったらとか、空母信濃が撃沈されなかったらとか、やや幼稚な仮説に基づく幼稚な論理展開だったようです。
 その後、合衆国以下の連合国のデータが集まることによって、もう少し論理的な戦争物が仮想されるように成ったそうです。真珠湾奇襲の直前に残念にも米国空母が演習へ出掛けていたとか、ミッドウェー海戦で太平洋にいた合衆国空母は3隻だったとか、レイテ湾海戦で栗田艦隊がなぐり込みそうだった相手は無数の輸送艦ばかりだったとか、満州では原油が出たんだとか、中国で蒋介石と結べたんじゃないかとか・・・ご都合な理由が多く見つかったようです。

 所詮は戦争マニアの世界で、こうした書籍が一般の書店に並ぶのは稀だったでしょう。それが市民権を得たのは、荒巻義雄氏の「紺碧の艦隊」シリーズからだと思います。それまで単発の文庫物などもありましたが、シリーズ20冊以上が売れ続けたというのは脅威でした。これ以降、似たようなシリーズ物を書く作家が増え、積極的に後押しする出版社もあり、書店の平台を占領するようになった次第です。
 しかし、良い風潮とは言えません。そもそも日本が太平洋戦争で敗れたのは、政府の無策に尽きます。日米の技術格差や物量差を埋める手だてもなく、無意味な拡大政策で四隣に敵を量産しました。占領地域で宣撫工作もせず、情報管理も指揮系統整備も怠ったことが最大の原因です。拡がる一方の戦線を縮小せず、ただひたすらに消耗戦を展開した結果が、敗戦の全てでした。
 諸外国の情勢分析さえできず彼我の戦力格差さえ理解できなかった陸軍は、今少し理解を持つ海軍の反対を押し切って開戦に踏み切りました。海軍は、空母を核とする機動部隊という新戦術でポイントを稼ぎましたが、結局は物量差で押しつぶされました。その間も陸軍は戦線を拡げる一方で、泥沼の戦争を展開していました。海軍の弱体化で有効な後方支援さえも望めない中で・・・。
 そうした悲惨な状況をどう言い繕ったところで、敗戦という結末は動かなかったでしょう。連合国側を圧倒できる実力がない以上は停戦・講和に持ち込むべきでしたが、敵が多すぎたことや諸外国の神経を逆撫でしたことから、不可能でした。しかも東條内閣は始めから停戦・講和を意識していなかったのですから、語るに落ちます。

 それは、さておき。仮想戦記物が売れていると言うことは、その読者が確実に増加していることを示しています。この活字離れの時代に売上げが増加していることは、明らかに異常です。まず、本当の戦争を知る人が少なくなりました。義務教育で戦争の悲惨さを教えなくなりましたし、50余年という時間が記憶を薄れさせてしまったのでしょう。
 政府は軍隊の復活を望んでいますし、そのための布石を着々と打っています。しかし、戦争の悲惨さを理解した上での行動とは思えません。かつての太平洋戦争で、最後まで前線の悲惨さを理解し得なかった大本営や当時の内閣と同様に、今の政府は戦争の本質を正しく知っていない気がします。彼らは靖国神社に祀られる戦死者を「英霊」と呼んでいます。確かに国家のために尽くして死んだ兵士達は英霊でしょう。
 だが、彼らを英霊にしてしまったのは、無謀な戦争を引き起こした政府の無能です。情勢を分析し、被害を最小限に食い止める努力をしなかった大本営の無能です。また捕虜や占領地住民を虐殺させたのは、政府の責任です。正しい情報を伝えず、兵士や沖縄の国民に玉砕を強いたのは、大本営の責任です。英霊を生み出した当人たちから、毎年セレモニーを受けたところで英霊たちは喜ぶのでしょうか。
 政府・自民党は靖国神社の宗教法人格を取り上げて特殊法人化したいそうです(特殊法人に参詣するのなら、信教の自由に反しないという屁理屈です)。これまで合祀していたA級戦犯は取り除いて純粋な英霊だけにするのだそうです(しかし、戦犯の霊だけ分祀できるのでしょうかね)。その後で、敗戦を讃え、いつの日か強い軍隊を持つ大国への復活を誓いたいようです。

 政治家たちの大国意識を満足させる為だけに、再び国民の多くを英霊に祀りたいというのは、御免被りたいです。戦争を讃え、国民が血を流す尊さを広めたいというのは意味不明です。その先兵を仮想戦記物に擬しているのであれば、あまりに寒い状況です。
 敗戦を讃えることなかれ、敗戦からは何故そういう状況に追い込まれたかを冷静に分析することこそ為されるべき。

99.08.06

補足1
 読者の方から、「(1)仮想戦記物は戦争賞賛、軍隊賛美するものではない(2)仮想戦記物の手法はある程度評価の対象となる」などのご意見を頂きました。何度かメールの交換を致しましたところ、概ね良質の戦記物をお読みのご様子でした。私が批判しているのは、全く敗戦の分析もせず戦争賛美に終始しているような作品でありまして、私なりに評価している良質の戦記物もありますことは明記しておきます。

 某出版社編集部の知人が語るには、通勤電車でオヂサンが気軽に読めるような戦記物は、戦争の意義だの戦理・戦略だのを論じている作品は困るのだとか。あらゆる事象を無視してドンパチを繰り返し、やはり日本軍は強かった・・・という結論の作品が、読者受けするのだということです。
 太平洋戦争に限って言えば、物量面で優る米国や中国を相手取っての長期戦は事実上不可能でありました。局地戦に勝利して戦勝期間を延長できたとしても・・・所詮は勝てない戦争でした。これを一瞬のタイミングで戦局がどうとか、架空の巨大軍艦が出現してどうとか、隠し玉の新兵器があればどうとか、シミュレーションと謳うにもオソマツな作品が多く、そんな作品の人気が高いという間抜けな構図を批判したかったというのが、本稿の目的であります。

99.10.20
前頁へ  ホームへ  次頁へ